六十の手習いでなごみ宿安住庵公式ブログ始めます
安住庵ブログ始めます
こんにちは、なごみ宿安住庵・支配人の渡邊です。
私が東京でのサラリーマンを辞め、ここ四万十で宿の仕事を始めて来年で25年になります。
来年には私自身還暦を迎えますが、それを前にして永年のテーマであったブログに挑戦しようと思います。
今まで何度か始めよう始めようと思いつつ、何となくキッカケがつかめぬままダラダラと時間が経過してしまいましたが、ここで一念発起。
どれ位の頻度で投稿できるかわかりませんが、継続できるよう頑張ります。
私は以前には映画会社の松竹に勤務しており、劇場、映画製作部、映像宣伝部に在籍していました。
中でも映像宣伝部が一番長く、終盤では歌舞伎の坂東玉三郎さんが初メガホンをとった「外科室」と2作目の「夢の女」、そして大林宣彦監督の「女ざかり」と、吉永小百合さん主演作を3本続けて宣伝担当をしました。
松竹を辞め四万十(当時は中村)へ来るにあたり吉永さんにご挨拶をすると、なんと偶然にもライフワークである朗読の会でこの地に来られることになっているとの事。
「それなら泊めて」という事になり、私の宿人生の最初のお客様は吉永小百合さんとなったのです(その10年後にも映画の上映会で2度目の宿泊)。
また、担当していた「釣りバカ日誌」が、その後四万十川がロケ地となり、三國連太郎さん、西田敏行さん、高島礼子さんにもお会いできました。
別の作品の試写会の舞台あいさつでは山田洋次監督が来られるなど、こんな四国の果ての場所で、松竹時代お世話になった方々に偶然の再会できるとは夢にも思いませんでした。
やはりここは関東からすると海外並みに遠く感じるところですから。
この宿はそれまで妻の両親が切り盛りしていましたが、母親(当時の女将)が体調を崩したこともあり妻は若女将として家業を継ぐことになりました。
そして私も第二の人生をここでというご縁をいただいた次第です。
それから早や四半世紀。
何とも時の経つのは早いものですが、六十の手習いとして、地域で唯一無二な立地のこの宿の事を少しずつでもご紹介していければと思っています。
よろしければお付き合いください。