高知市の料亭・得月楼が舞台になったのは『鬼龍院花子の生涯』だけではなかった
こんにちは、安住庵・支配人の渡邊です。
「なめたらいかんぜよ!」
今から40年ほど前にめちゃくちゃ流行った映画のセリフであり、強烈なインパクトだったキャッチコピー。
大正から昭和の土佐が舞台となった映画『鬼龍院花子の生涯』は、伝説の女優・夏目雅子さんが唯一出演した任侠映画で、劇中みずからがこの決め台詞を発し大ヒットしました。
大人も子供もこのフレーズを連発していたことを思い出します(ちなみにここ四万十の辺りでは「ぜよ」とは言いません)。
この映画の監督・五社英雄さんの娘さん・巴さんは、私がかつて松竹映画の宣伝部にいた頃、雑誌の編集者として大変お世話になった人で、この度30年ぶりに当庵でお会いできることに。
五社監督亡きあと、五社プロダクションを引き継いでおられ、「高知市に用事があるのでついでに行きます」と突然ご連絡をいただきました。
聞けば、英雄監督の没後30年の昨年、劇場映画のうち全24作品のうちパッケージ化されていない残りの9作品を映画会社各社に企画を持ち込みすべて完成に。
そして、代表作『鬼龍院~』の舞台となった高知市の料亭・得月楼に聖地巡礼(?)に来られたというわけです。
高知出身の原作者・宮尾登美子さんがこの明治創業の老舗料亭・得月楼を舞台に著した小説が1980年に刊行され、1982年に映画公開されました。
五社巴さん曰く、「今日6代目に話し聞いてきたんだけど、〈得月楼〉って元々創業当時は〈陽暉楼〉という屋号だったようね」。
「えっ? 陽暉楼?」
そうです、五社作品の一つ『陽暉楼』も同じ宮尾原作で高知が舞台なのです。
この〈得月楼〉と〈陽暉楼〉の二つの呼び名が同じ料亭だとは。
宮尾さんは同じ料亭を舞台に、二つの小説を書いたのですね。
映画『陽暉楼』の公開は『鬼龍院~』の翌年1983年ですが、原作の小説〈陽暉楼〉は1976年に発行という映画とは逆だったようです。
はりまや橋の近くにお店を構える創業150年の得月楼は、立派な庭園があり池には鯉が泳いでいるような品格のある料亭で、私のような庶民には少し敷居が高いかも。
盆梅の収集で地元では有名な名店で、毎年時期になると品評会も開催していることは知っていましたが、五社作品の舞台のところとは結び付いていませんでした。
それも2作品とも同じとは。
高知が舞台となった映画、くらいにしか認識がなかったのですが、今回の五社さんとの一件で25年経って知りえた情報でした。
それにしても先月は20年ぶりに松竹の先輩と、25年ぶりに取材をしていただいた産経新聞の記者さんと、30年ぶりに学生時代の友人と会う機会がありました。
そして今回、五社さんと30年ぶりに再会。
これだけ続くとさすがに少し恐ろしい気持ちです。